『デカダンス』第2話「sprocket」感想です。
前回あらすじ
未知の生物・ガドルの襲来で世界人口の大半が喪失。生存した人間は戦士・ギアが建造した巨大移動要塞デカダンス内で暮らしていた。人々はガドル体内に流れるエネルギーであるオキソンを利用して生活し、ギア以外の構成員をタンカーと呼び、サポートに従事していた。タンカーのナツメは幼少期にガドルの襲撃により孤児となった。彼女は戦士として戦うことを夢見ていたが、右手が義手となっていたため認められず、装甲修理の職を与えられ、カブラギの元で働き始める。ある日、ガドルが襲来。ナツメは巻き込まれてしまうが、カブラギは軽い身のこなしでガドルを倒し、ナツメを救出。デカダンスは変形して巨大な拳状になり、巨大ガドルにパンチを浴びせた。その様子を宇宙人のような姿の何者かが観察していた。
2話あらすじ
デカダンスはソリッドクエイク社が製造したユーラシア大陸を舞台とした巨大娯楽施設だった。サイボーグは、姿形を自由にカスタマイズした素体で、デカダンスにログインし、ガドル狩りやタンカーとの交流を楽しんでいたのだ。
カブラギは過去は、ガドル狩りのランカーとして活躍していた。同じチームのマイキーは急成長中のランカーだったが、成績が伸び悩み、カブラギに相談に訪れた。
カブラギは彼にリミッター解除の方法を教えた。それは本体にダメージを負うリスクの代わりに、能力が飛躍的に向上するチートであった。
ところが、チートがフギンに発覚し、マイキーはスクラップにされてしまう。カブラギはスクラップを逃れる条件として、装甲修理になり、不都合な人間たち(バグ)の捜索と人間に埋め込まれたチップの回収の業務に就くことになった。
危険な目にあったナツメだったが、戦士になる夢は諦めていなかった。ある日、カブラギがバグのチップを回収しているところをナツメに見られてしまう。カブラギはナツメも処分しようとするが、彼女はシステムに認識されていなかった。
人生に対して無気力になっていたカブラギだったが、ナツメというイレギュラーな存在と出会い、彼女の可能性に信じ、戦いの方法を教えようと決断するのだった。
あまりにも意外な展開
1話の感想ではポストアポカリプス的なSFアクションアニメと書いたが、2話の展開は冒頭からあまりにも意外だった。デカダンス自体が大型娯楽施設だったというメタ的な展開は予測できなかった。確かにガドルのデザインがゲーム風だったり、ギアが異色な肌の色を持っていたり、命を賭けるはずのガドル狩りにみんなが率先して出発したり、1話をみたときに感じた些細な違和感に納得できる。
ただ設定はちょっと複雑。カブラギたちサイボーグは娯楽施設として楽しんでいるが、ナツメたち人間は普通にそこに生活していて、人間たちは知らず知らずのうちにサイボーグ達にチップで管理されており、何か問題を起こすような行動をした人間は処分されるということなのだろう。ナツメがシステムに認識されていないのは、彼女の右手に本来チップが埋め込まれていたからだと思われる。サイボーグ自体もシステムに管理されていて、ポストアポカリプスというよりもディストピア的な世界観になっている。
サイボーグのデフォルメされた絵と、デカダンスにおけるリアル路線の絵の格差がとにかく鮮烈。前半パートは、また『ソードアートオンライン』みたいなアニメかよと思ってガッカリしそうになったけど、ただのゲームの中というだけではない仕掛けが次々と出てきて引き込まれた。
かなり印象に残る2話だったのは間違いないが、1話のときよりも、もっと人を選びそうな設定だとは感じた。1話と2話でダブルで篩にかけてしまっている気はする。1話のラストで「デカダンスは巨大娯楽施設」云々と説明するのも制作陣は考えたのかもしれないが、印象の強さはこっちの方が上だと踏んで選んだのだろう。出落ち感はあるが、オリジナル作品らしいハッタリが効いている。もしくは、最終話でネタバレってのも伝説に残ったかもしれないが。
カブラギは管理されるような社会に懐疑的で、ナツメ自身も定めたれた運命を受け入れることができない人物だから、ストーリー的には、自分の未来は自分で選択するべきみたいなのがテーマになるのだろうか。サイボーグにとってはゲームだけど、人間にとってはリアルだという非対称性もキーになっているので、人間達が自分たちは管理されていて、娯楽の一部になっていると気付くような展開もありそう。
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