『映像研には手を出すな!』第10話「独自世界の対立!」感想です。
前回あらすじ
文化祭が大成功に終わり、映像研には多数の部活からアニメ制作の依頼が舞い込んできた。しかし、さやかは儲けが少ないという理由から全て断り、コメットAという自主制作物即売会を目指すことになった。さやかは幼少期から商才に優れた子供であったが、雑貨店の手伝いを通して、宣伝の重要さを知った。彼女は芝浜商工会をスポンサーとして取り付け、芝浜を舞台にした町おこしアニメ制作を決定するのだった。
10話あらすじ
町おこしアニメの制作に邁進する映像研メンバーの元に生徒会が乗り込んできた。生徒会と教師陣は、映像研へのコメットAへと参加を問題視していた。
教師は、部活動はあくまで教育の延長上にあるため、即売会に出品して金儲けをするのは相応しくないと考えていた。一方、さやかは合理的な論拠がないことから承知しなかったが、ソワンデの強権で参加を禁止させる。
アニメ制作自体は続ける映像研。ある日、百目鬼がサウンドハンティングに行くのに3人も同行することになった。着いたのは学園の向こう岸にある発電所だった。
巨大な柱時計などに妄想を膨らませるみどり。そこにソワンデが偶然通りかかる。さやかは部活動としてではなく、個人としてコメットAに参加すると彼女に告げる。ソワンデは映像研が自分の世界に没入している姿を見て、少し心が動かされたようだった。
さやかの主張に違和感
学校側は部活動で金儲けをするのは教育上良くないと言っているが、金森氏はビジネス自体が教育の一環であり、むしろ積極的にやるべきとして対立している。ただこの問題のそもそもは、学校という部活動の枠組みで活動したことで、実質的に責任は学校が取らなければならないのに、勝手なビジネスを進めるなということだと思う。
今ですら高校や大学が地域と連携して様々な活動をやっているから、アニメ制作をすること自体に学校の許可が出ないことはまずない。それなのに学校の枠内に存在して、学校の設備を使っていながら、学校を飛び越して話を進めているところにも問題がある。
金儲け云々は結局、これを作った作者(原作にあるエピソードかどうか知らないのでアニメ監督かもしれない)の言いたいことの代弁でしかないだろう。つまり「ビジネスを学校で教えろ」とか「クリエイターには正当な対価を支払え」とかTwitterなどで絵師やそのフォロワー達が声高に訴えているような主張である。まあその主張自体はすればいいと思うのだが、二次元キャラに代弁させて、その反論サイドを無能に描いて説得力を持たせるのは好きじゃない。以前に『クロエの流儀』という漫画が話題になったが、あれと似たようなものを感じる。
実際に映像研内部でも金儲けがしたいと主張しているには金森氏だけで、浅草氏や水崎氏はアニメを作りたいというのが最大の希望なので、金森氏だけ突っ走っているのもわからん。もしビジネスをしたいのなら学校と無関係な場所で設備を個人で揃えてやればいいのではないか。それなら学校サイドも文句を言う資格はなくなる。
あとソワンデが「学校は独自の世界」と金森氏を説得した後に、「映像研も独自の世界だな」と勝手に納得してたのもよく分からん。独自の世界だからどうとかいう問題ではないし、そもそも映像研は学校に内包される部活動だから独自の世界ではない。独自なのは所属メンバーが変わり者だって意味で、学校が独自の組織だというのと全然話が違うだろう。
クリエイター向けのアニメ
批判ついでに書くが、玄人向けのアニメ感が強すぎると思う。今回やったのは、生徒会との対立とサウンドハンティングだけで、妄想の世界の描写や、サウンドハンティングの様子を描写に終始していた。作者のクリエイター精神が大きすぎて溢れ出るアイデアを披露したいんだなというのは分かるのだが、単なる視聴者の私にはその面白味が全く理解できなかった。
アイデアも主軸の町おこしアニメの制作に関係しているものならいいのだけど、その関係性があまり見えてこず(多分完成したアニメには今回の妄想で取り上げられたギミックが入ってくるのだろうが)ぶつ切りで挿入されているので、それぞれの妄想にあまり興味が湧かない。クリエイター志望には垂涎ものの回なのかもしれないが、私は今回の話には良さが見出せなかったなあ。でも生徒会長はかわいかった。あとたまに挟まれるパロディも良かったけど、きっとそういう評価は欲してないんだろう。
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