『映像研には手を出すな!』第11話「それぞれの存在!」感想です。
前回あらすじ
制作に邁進する映像研だったが、学校側は、部活動は教育の延長上にあるため金儲けは相応しくないと、映像研のコメットAの参加を問題視していた。さやかは非合理的だと反対するも、ソワンデの強権で参加が禁じられてしまう。ある日、百目鬼のサウンドハンティングに映像研も同行することになった。そこにソワンデが偶然通りかかる。さやかは部活動ではなく個人として、コメットAに参加すると彼女に告げる。ソワンデは映像研が自分の世界に没入している姿を見て、少し心が動かされたようだった。
11話あらすじ
映像研がDVD製作の打ち合わせをしているところに生徒会が乗り込んできて、打ち合わせを解散させられてしまう。
またストーリーも行き詰まってしまい、悩むみどりに対して、顧問の藤本は遊びが創作には大事であると告げ、みどりたちは街の探検に出掛けることに。さやかは川に転落したみどりを助けるために川に入り、風邪をひいてしまった。
翌日、みどりとツバメが映像研の部室に行ってみると入口に学外との金銭授受禁止と書かれた張り紙が貼ってあった。2人は、それを伝えるためにお見舞いを兼ねて、さやかの家を訪ねる。
みどりとさやかが友達になったきっかけは、体育の時間で2人とも1人ぼっちでいたことだった。それぞれが潤滑な学校生活を送るために、互いを利用し合う共生関係が出来上がっていった。
さやかに金銭授受禁止の張り紙のことを伝えると、問題は解決したと告げられる。宣伝効果で街おこしビジネスがネットで取り上げられたことから世論の味方が得られたためだった。
その後、みどりはアニメのテーマをcoexistence(共生)とし、順調に制作は進んでいった。ところが音響の段階で、注文した楽曲が全然イメージと違うものになっているという問題が発生してしまうのだった。
学校でビジネスに世論は賛同するか?
金銭授受を禁止されたため、コメットAで金儲けできなくなってしまったが、それを世論を味方に付けることで解決した。ただ「学校でビジネスをやるなんて素晴らしい」という意見が世間的に多いというのは願望でしかないと思う。
実際は、舞台が近未来だからというのを置いても、学校でビジネスで学ぶ必要はないと考える人の方が多いのではないかと思う。特に年配の人はその考え方になる可能性が高い。しかも、もし賛同の方が多かったとしても、学校に電話してくるようなのはむしろクレームつけたい人の方で、賛成側はまず電話してこないと思う。
学校でビジネスを学ぶことを許されたとしても、学校の設備を使用して個人の金儲けをすることは問題があり、そちらの方は一切解決していない。学校と儲けを折半するのであれば、まだ分かるのだが、個人が儲けを独り占めできる根拠は何もない。
さやかとみどりの出会い
今回は浅草氏と金森氏の出会いのエピソードが披露された。浅草氏は共生と言っているけど、むしろ最初のころは、金森氏が浅草氏を一方的に利用しているような感じしか受けなかったのだが。
でも今はお互い信頼しきっているのはすごく伝わってくる。金森氏は浅草氏の望むことをできるだけ叶えられるように動いているし、浅草氏が川に落ちたとき、救出するために躊躇うことなく川に飛び込んでいた。浅草氏も困ったときは、金森氏の判断を必ず仰いでいるし、今回もすぐに金森氏の家にまで訪れていた。私が水崎氏の立場だったら、2人の関係に嫉妬してしまいそうだ。
あと今回もあったのだが、やっぱりアニメ上に吹き出しを出すのは気に食わないなあ。アニメ表現を追求するアニメなのに、吹き出しに文字を出してしまうのはアニメの敗北ではないだろうか。その文字を表情や演出で見せてこそのアニメだと思う。
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