『ソマリと森の神様』7話感想 魔女のヘイゼルとプラリネが登場

3.0

『ソマリと森の神様』第7話「魔女に縋る足取り」感想です。

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前回あらすじ

ウゾイは逃げて池に落下したソマリを見捨てることができなかった。彼女はやり場のない思いにハイトラに顔を埋めて号泣する。その夜、ゴーレムはハイトラから衝撃の真実を聞く。ハイトラは他種族に虐げられた末に、ハラピュイア属の女性を撲殺してしまった。ウゾイはその女性の娘だったのだ。再び砂漠をいく一行を龍の巻風が襲う。ウゾイとソマリは飛ばされ、カケアシドリに襲われる。ハイトラは懺悔の気持ちから囮になるが、ウゾイは生きて罪を償えと涙を流し叱責するのだった。

7話あらすじ

ソマリ達はウゾイ達と別れて、砂漠を越えた先にある世界中の知識が集まる村を目指す。その村は魔女が暮らす村で、世界中の書物が集まる魔女印図書館という施設が存在していた。

図書館では、司書のヘイゼルとその姉のプラリネが出迎えた。プラリネは本の虫で、ゴーレムに人間について書かれた書物『はらいその伝記』を紹介する。

ソマリが大量の本の山から『はらいその伝記』を見つけ出すが、その本には、本をエサにするオトトウオが巣食っていた。ヘイゼルとプラリネは魔法で退治するが、合体して巨大化してしまう。

ゴーレムが身を挺してオトトウオを退治するも、『はらいその伝記』は読めなくなってしまった。手掛かりがなくなり落ち込むソマリだったが、貸出記録を調べると、304年前に図書館司書イゾルダ・ネヴゾルフが借りていることが判明。その人物から内容を聞こうと試みるのだった。

ヘイゼルとプラリネ

この先もずっとウゾイやハイトラと行くのかと思ったけどそんなことはなかった。まあソマリとハイトラの2人も人間がいると隠しづらいから仕方ないか。

そして、新キャラクターが登場。ヘイゼルは三つ編みに眼鏡とステレオタイプな魔女らしいルックスで性格もおしとやか。プラリネはショートカットでボーイッシュな感じだが、本の虜になっている。私はプラリネの方が断然好みなのだけど、性格と見た目が普通と逆だなと思った。

普通は、本の虫の方が三つ編み眼鏡でおしとやかなイメージなのだが。魔女という属性や見た目もどちらも古典的なキャラクターだけど、ちょっと新鮮だった。声優はヘイゼル役が茅野愛衣で、プラリネ役が高垣彩陽だった。

304年前に借りられたって、この魔女達いったい何歳なんだろう。あと巨大化したオトトウオを魔女達で退治するのが無理なのだったら、今までどうやって対処してきたのか気になる。まさか今回初めて巨大化したわけでもないだろう。

人間とキリスト教

前回も、ハイトラの罪を表現するのにリンゴを齧る演出を入れて「禁断の果実」というワードを出したり、「審判の日」という表現もなされていたが、今回も「はらいそ(パライソのことだろう)」という単語が出てきた。パライソはparadiseのことで天国を意味するキリシタン用語である。

人間にまつわるもののときは、キリスト教の用語を意図的に使用しているのだと思う。人間が他種族の迫害を受けたときに、キリスト教が心の拠り所で、その名残で人間の話す言葉や書物にはキリスト教の言葉がよく使われているのではという想像が、さらに裏付けられたような気がする。

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